Ça c'est comme ça ?

日本での暮らし。ちょっとしたできごとや思ったこと、雑記。

つかの間の東京滞在で感じたこと

日帰りで東京に行ってきた。戸籍の関係でお役所へ。お話を聞いて、今後どうするかを決めた。

朝8時のバスに乗り、途中中央高速SAで桜が咲いているのを見てびっくり。で、新宿に着いて桜が散っているのを見て、またもやびっくり。バスで3時間くらいの距離なのに、こんなにも違うのか~としみじみびっくりした。(変な日本語だけど。)

もっとびっくりしたのが、日本にあるモノたちの豊富さ。帰国してからすぐにも新宿は徘徊したけど、その時はブルキナにないものばかりという観点で見てしまったけど、今回、改めて生活を始めてみてからの目線で見てみても、魅力的なものがたくさんだ。お金があれば、すぐにでも買ってしまいそうだ。

いままでなかったサービスやモノを見て「すごい!」「便利!」「こんなことができちゃうんだ!」の連続だけど、やっぱりしばらくして冷静になってみると、違和感を覚える。「これって、本当に必要なものなの?」って。

 

いいものはいい。確かに便利だ。新しいものは、考え抜かれていて、おおっ!って思うものがは、手に入れられれば、最高だ。

けど、いつも最高でいないといけないかな?少し不便を感じて、自分の頭で考えて、工夫してできるものって、あるんじゃないかな?

便利なものをお金で買って、なんでも自動でやってもらうのはいいけど・・・それって、却って、人間のもともともっている力を衰退させてしまうんじゃないかな?

 

必要ないものを、どう必要とさせるかを工夫している日本。

必要なものすらも手に入らなくて、どうやって補うかを工夫しているアフリカ。

 

両極端、と言ってしまうと言い過ぎかもしれないけど、両方の生活を体験してみて、人間、どちらでも生活できるなと。大切なのは、その時々の自分の状況を見据えて、本当に必要なものを身の回りに置くことなのかな、と思った東京行きでした。

時間の流れ

4月から新しい土地で生活を始めて約10日がたった。とにかく、一日が過ぎるのが早い。同じ24時間なのか?と不思議に思ってしまうくらい、アフリカの時間の流れ方との違いが大きい。気がつくと、前回の更新からずいぶん時間が経ってしまった。

帰国当初は、いろんなことにびっくりしていたけど、さすが生まれ育った国だけある。すぐに馴染めるものですね。

 

この10日くらいでやったこと。

  • 引っ越してきてから、あたしの帰国荷物やお土産より家人の服が多いことにびっくりしたが、必死に掃除や整理整頓をしたので、なんとか片付いた。日用品も昨年いろいろ買っておいたけど、私の不在の間、まったく触っていなかった箇所ばかりで、足りないものはほとんどなかったので、私的にはかなり住みいい家になった。日本での初めての自分(たち)の家。ちょっとうきうきだ。足りない家財道具などは、計画的に少しずつ増やしていこう。
  • 念願だったスポーツジム(+温泉サウナ施設)にも入会した。お風呂施設系がとにかく充実の施設。ジムも程よい大きさ。ジムは毎日だとやりすぎだから、程よく通えば続くかな?と思ってる。どうなるかしら。
  • 仕事も少しずつ始めている。いまは、商品とか仕事の流れとか、とりあえず置かれた状況を把握するようにしたり、単純に手が足りないところを手伝ったりの段階。他の人の仕事や役割をよく観察して、今後は自分ができることは何なのかを少しずつ見極め、こなしていければなと思っている。

お昼は職場(?)でいただくことが多いけど、作るのをお手伝いするだけじゃなくて、なにかうちから一品でももっていければなと。まだ生活ペースが定まってないし、何よりも、この時間の流れ方に戸惑う毎日だ。

まあ、でも、きっと Ça va aller! C'est pas grâve! 以前の自分ならあせっちゃってたけど、「人生、そんなに重大なことはたくさんなくって、なんとかなる。」アフリカで学んだこと。忘れないように、生活していきたい。

後悔っていう、曲者な言葉。

よく「後悔しない生き方をしたい」って言う人がいる。

Top five regrets of the dying | Life and style | guardian.co.uk

1. I wish I'd had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me. 自分に正直な人生を生きる勇気を持つべきだった。他の誰かが自分に期待する人生ではなく。(Je souhaite que j'avais eu le courage de vivre une vie fidèle à moi-même, pas les autres de la vie attend de moi.) 

最も共通して表される後悔。人生がもうすぐ終わると知って、叶えられなかった夢の多さに気がつく。

2.I wish I hadn't worked so hard.~あんなに働くんじゃなかった。(Je souhaite que je n'avais pas travaillé si dur.)

Wareさんが看護した全ての男性が口にしてきた。

3. I wish I'd had the courage to express my feelings.~自分の感情を表現する勇気を持つべきだった。(Je souhaite que j'avais eu le courage d'exprimer mes sentiments.)

多くの人が、周囲とうまくやっていくために自分の本当の思いを抑え込んでいる。結果、本当はなれたであろう存在になれないまま終わる。

4. I wish I had stayed in touch with my friends.~ 友達と連絡を絶やすべきではなかった。(Je voudrais resté en contact avec mes amis.)

死を目前にして古い友人のありがたみに気づくが、もはや探し出して会えるとは限らない。

5.I wish that I had let myself be happier. ~ もっと幸せになるべきだった。(Je souhaite que je m'étais laissé être plus heureux.)

最期の時を迎えて初めて、幸福は自らの選択の問題であったことを理解する。

日本語訳はこちらからいただきました。

そして、最後に、こう問いかけがある。

What's your greatest regret so far, and what will you set out to achieve or change before you die? いままでに一番後悔したことってなんだろうか。そして死ぬ前に、どうしても成し遂げたいこと、変えたいことはなんだろうか。(Quel est votre plus grand regret à ce jour, et ce sera vous vous apprêtez à réaliser ou modifier avant de mourir?)

考えちゃうよね、普通は。

私も、ある時から、「死ぬまでにやりたいことリスト」は作るようにした。死ぬまで、と大げさにしなくても、「これしたい!」って思ったらリストにしておく。なんだか、行きたいところリスト、になるつつあるけど。

これをはじめたら、意外にリストは消化されていくものだ、と言うことにも気づいた。そうしたら、なんだか、人生なかなか楽しいじゃない?って、ポジティブになれるというおまけもついてきて、いいことはいい事を生んで、なかなかいい感じになってきている。(ま、多少の残念はあるけどね。)

だけど、最近、いきづまることが多い。うまくいかないことがある、とも言える。

ま、そんなの当たり前だ。人生、そううまくいくことばかりじゃない。それに、うまくいかなくなったときの対処法も、少し身につけたし、それほどは落ち込まない。

でも、このいきづまり。何が原因か、少しわかってきたことがある。それは「後悔しないようにって、我侭になっていることがある」ということだ。

 

我侭=人のためにならないことをしてしまう・自分のことばっかり考えるってことでしょ?そうなると「後悔したくないから」とか言うのは、ただの大義名分をかざしているみたいな、自分に都合のいい言い訳をしているだけで、自己満足、わがままな行動、さらには、本当にやるべきことからそれてしまう気がする。

 

さっきの「死の直前に後悔すること」の最初にあった、"the life others expected of me" これも、他人って言うのは、自分が作り出した虚像に過ぎないと思う。つまり、自分の思い込み。

 

今の敵は、異文化じゃない。

多分、本来見るべき人じゃない人を見ていること。自己満足しようとしている傾向にあること。何かを思い込もうとしていること。美しく見せかけようとしようとしていること。

基本に立ち返ろう。 じゃないと、死ぬ前じゃないけど、そのうち、後悔することになる~。

Half full? Half empty?

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それは、半分水の入ったコップを見て、「後半分もある!」って思うか、「後半分しかない」って思ってしまうか。これって、その時の心理状態によって感じ方が変わってくること。よくある話。

 

前々から、そう、日本でサラリーマンをしていた時から思っていたこと。あたしのよろしくない、心理状態。それは、週末までの、一週間の残り日数を数えてしまうこと。違う言い方をすると、今ある時間を減らしにかかる心境になること。心がよくない状態に陥った症状だと認識している。

帰国まで2ヶ月を切ったいま、まさにその症状が結構末期。よくない。ほんと、よろしくない。

わかっちゃいるんだけど、今回ばかりは、アフリカと言う強敵。敵って言うとちと違うかもだけど、もうこの文化。違う時間の流れ方。太刀打ちできないことが多すぎる。それゆえ、ブルキナベの口癖、"Ça va aller!"(何とかなるさ!)じゃないけど、もうどうにでもなれ~!って、投げやりになると言うか、もうお手上げ状態、時間が流れるのをじっと待つ、っていう状態が一番精神的にコナイ。っていうか、そうするしかない。ま、これは泣き言、弱音になっちゃうかもしれないんだけどね。

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Wanderlustと言う言葉、たまに考える。「旅に出たい」とか、「旅情をかき立てられる」とか、そんな言葉にしちゃうと、旅好きの人には「はは~ん、あの状態か!」とか言って、悪く響かないかもしれないけど。この場所からいなくなってしまいたい、もしくは、どっかに行きたい!って思うことは、結局、いまの自分から目を反らし、現実逃避をしたいと言うことなのかも?って、最近つくづく思う。

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「ここから逃げたい」って思うことは、実はその正体は、場所とかじゃなくて、他ならぬ「弱い自分から逃げたい」ってこと。

「探して見つからない」って(自分)探しをすることは、実はその「自分」とやらはそこにいて、求めているものも実は自分の中にあったりもする。

だから、なんだかんだで、向き合うのは、自分自身。なんか、最近、そう思う。

 

でも、難しいな~。

ふるさと

わたしの出身地は東京だ。正確に言うと、母の実家の千葉県で生まれ、中学から大学まで神奈川の学校に通ったし、大学を出てから数年間は、東京で働いていたけれども神奈川に住んでいたから、人生の半分くらい、いや、もっとかな。物理的には、東京にはいなかったかもしれない。だから、あまり東京都民だったとは言えないかも知れないが、書類上はずっと東京都にいたことになっている。いまでも、本籍地は東京のままだ。

でも、どうも「東京出身です」と言うのに、躊躇がある。まあ、東京育ちっぽくないし、東京って言っても広すぎるから、実際、東京ってどんなところ?って言われて思い浮かぶ街並みは、なんともあいまいだし、いろいろだから、はっきりいってよくわからない。

 

けれど、「ふるさと」と言って心に浮かぶのは、紛れもなく長野。短期間暮らしたことはあるけれど、住民票もおいたこともないから、住んだことにはならないかもしれない。(ふらふらしてばかりいて、どこに行っても、期間限定の居候みたいなもの、だったしね。)それでも、やっぱり、心のよりどころは、長野だ。何年もいろんな国を転々とし、居場所を探していたけれど、やっぱり帰りたいと思うのは、長野。きっと、いつの間にか、ここがわたしの「ふるさと」、帰る場所、になったのかもしれない。

 

今週は、「青い鳥」というドラマを見ている。何も知らないで、ふと見始めたこのちょっと古いドラマ。(実際に1997年、あたしが大学生の頃のドラマらしい。当時、知らなかったけど。)

このドラマの舞台が、まさに長野県、今母が住んでいるあたりだ。PCの小さい画面だけど、見覚えのある山々。風景。ドラマの展開は、なんともシリアスなものなんだけど、「あ、ここ知ってる!」って、何度もわくわくし、懐かしさに胸がきゅんとする。ああ、いいなあ、いいなあ、ってふとこの土地のことを考えてしまう。

アフリカから帰国したら、今度は長野に住む。きっと、今度こそ、ここが「ふるさと」になるんだなと思うと、なんだかうれしい。待っていてくれる人たちがいると思うと、そのことにはちょっと照れくさいけど、なんだか心がほっこりする。

 

帰る頃は、もう雪は解けているかな。桜はまだかな。ちょっと寒いけど、きっと、雨が降った後にはびっくりするくらい、緑が芽吹く季節だな。そろそろ、農業も始まるから、お手伝いに行こうかな。山菜も取れる季節もすぐに来るかな。

何をしよう。どこに行こう。考えるだけでも、わくわくだ。

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帰国まで、あと55日。正確には、57日後に日本。帰るのが楽しみだ。

こんな週末もある。

なんだか、最近、ぼーっと仕事をしている。本当なら、最後のラストスパート。時間がないとあせったり、仕事が終わらないと忙しかったり。そんなはずだったんだけど、あたしの場合、所属先のやる気のなさは相変わらずで、できることに限界があって。なので、できることだけを、している感じ。だから、働き方、完全ブルキナベ。(いや、ブルキナベよりは、忙しいとは思うんだけど。)

そんなわけで、日常も、ゆるい。相変わらず、プライベートの時間はたっぷりある。かといって、あまり外へ出かけたりはしない。ほんと、マイペースな暮らし。

でも、やっぱり息苦しいというか、ずっと任地にいるのはいやだから、週末は首都に行ってみた。たいした用事はなかったんだけど。ただ、イチゴの季節だから、イチゴパフェを食べたくなって。

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これが、イチゴパフェ。生クリームは苦手だから、ひとにあげて、いちごとバニラアイスを絡めて食べる。任地じゃ、両方とも食べられないものだから、こうしてわざわざ2時間近くかけてでかけて、そして食べる。日本じゃ、ありえないよね。この時間の使い方。

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ラザニアとかピザとかも頼んでみた。伸びるチーズが食べたくて。 

お腹がいっぱいになってからは、同期の首都隊員のおうちにお邪魔した。最近、すっかり料理上手になった彼女。私も、誰かのために美味しい料理の腕を上げるって・・・・ う~ん、やってみたいような・・・? いまはできないけど、日本に帰ってやりたいこと。忘れないようにしないとな~。

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Je mène une vie monotone de ces journées, en particulier au travail, donc je suis allé à Ouagadougou (la capitale) que pour manger un parfait fraise week-end dernier. Nous avons tellement aimé que le manger et les aliments italiens là! 

Après avoir repas de luxe, j'ai visité un de mes amis dans la capitale. Sa cuisine s'est améliorée et nous avons eu très joli repas dans le lendemain. J'ai certaines choses que je souhaite acquérir,comme une cuisine et d'autres choses, car il ya des limites que je peux faireici au Burkina. Peut-être que je pourrais l'oublier, donc je ne m'en souviens! 

Récentment, je n'ai pas fait acancer mon travail et j'ai seulement rempli mon rôle san problème, ce que je ne pense pas bonne. Bien que j'ai fait une petite amélioration, mon travail est devenu simplement la "tâche", pas de "travail", et la plupart de ceux qui pourrait être fait par n'importe qui, pas seulement par moi. Un jour, bientôt, je dois faire quelque chose pour trouver une issue à cette situation et je vais faire certaines choses à la main sur la prochaine étape dans le deux mois dernier.